MLBニューヨーク・ヤンキースのアーロン・ジャッジ選手がついに大偉業をなし遂げました。米アーリントンで行われたレンジャーズとのダブルヘッダー第2試合で、今季第62号ソロ本塁打を放ち、61年に同じヤンキースのロジャー・マリスがつくったア・リーグ最多本塁打を抜き、新記録を樹立したのです。
球界そして全米の歴史に残るヒーローとなったアーロン・ジャッジ選手。その生い立ちは独特だとも言いますが、幼い頃彼の身の上に何があったのか。両親や妻は誰で、どんな子供時代を送ったのか、調べてみました。
[st-kaiwa1]シーズンホームラン数でいえば70本以上のボンズ、マグワイアらがいるけど、当時はドーピング規制が未整備。「真のクリーンな本塁打王はジャッジだけ」と全米でたたえられてるな!!おめでとう[/st-kaiwa1]アーロン・ジャッジの両親はどんな人
米カリフォルニア州リンデン出身の30歳。17年にも52本を放ち本塁打王のタイトルを獲得した、メジャー屈指のスーパースラッガー、アーロン・ジャッジ選手。
怪我に苦しんだ時期もありましたが、今季は序盤から絶好調。驚異的なペースでホームランを量産し、結局最後までコンスタントにスタンドインを絶やさず、遂にアリーグ前人未到の62本という金字塔を打ち立てました。
[st-kaiwa2 r]敵地なのに球場中が大熱狂。電光掲示板にはマリス、60本のベーブ・ルースという同じヤンキースの偉人とジャッジさんが映されてた。感動的~~[/st-kaiwa2]ジャッジ選手は試合後「本当にほっとした。ずっと支えとなってくれたチーム、家族に感謝したい」と、両親や妻へメッセージを送っていました。
ところで、その特殊な生い立ちなどからもジャッジ選手がとりわけ尊敬し感謝するその両親とは、どんな方なのでしょうか。
メディアによると両親の名前は父がウェイン・ジャッジさん、母はパティ・ジャッジさん。ジャッジ選手生まれ故郷のリンデンで、現役時代は二人とも、学校の教師をしていたそうです。
教育熱心で優しい両親の間で育ったアーロン少年。親子の仲が大変良いことでも知られ、ジャッジ選手のSNSにはたびたび三人で笑顔を寄せ合う写真がアップされています。本塁打新記録の際には、スタンドで見守る両親の姿が印象的でした。
HE DID IT
All Rise Home Run Number 62 for Aaron Judge!
The 7th most HRs ever in a season! @short_porch pic.twitter.com/r0jJvBAHYo
— Barstool Sports (@barstoolsports) October 5, 2022
アーロン・ジャッジの妻はどんな人
さてメジャーのスーパースターであるアーロン・ジャッジ選手。奥さんはいるのでしょうか。彼は29歳だった昨年のオフに結婚が報じられました。
日刊スポーツによると、お相手は高校時代からの交際相手サマンサ・ブラックシークさん。ハワイで式を挙げ、ヤンキースの同僚サンチェス、セサ、トーレス各選手らも参列し祝福したそうです。
[st-kaiwa2 r]10年越しの恋成就!球場にもいつも同行してるしいいご夫婦ね!(2mのジャッジ選手と並ぶと奥さん子供みたいww)[/st-kaiwa2]Aaron Judge praises wife, Samantha Bracksieck, for handling frenzy of home run chase https://t.co/kLW5hFU7Ro pic.twitter.com/iFYMMXyVei
— New York Post (@nypost) September 29, 2022
アーロン・ジャッジの生い立ち
長いMLBの歴史で偉大な先人に並んだアーロン・ジャッジ選手。バイデン米大統領からも祝福コメントが寄せられるほど、今や「世界を代表するアメリカ人」なわけですが、その生い立ちは、一般の家庭とはやや違う特別なもののようです。
なぜ養子?
実はジャッジ選手は、92年4月の誕生した何とその翌日に、現在の両親であるジャッジ夫妻に養子縁組されたのです。「生まれた翌日」にいきなりとは一体…。それではジャッジ選手の「生みの両親」とは誰なのか。どういう事情ですぐにジャッジ夫妻の養子に出されたのか。そうした詳しいことはいまだジャッジ夫妻からは一切明かされず、不明なままです。
ただジャッジ選手自身の話として、以下のようなエピソードが語られています。
・(多民族系である)自分は、両親とは見た目が違うことは子供の頃から分かっていた。そして10歳か11歳のとき、両親から自分は養子だと聞かされた。
・でも、自分は『オーケー、全然構わないよ』といった感じだった。なぜなら(養子だろうと)母親は自分の母親で、唯一知っている母親だし、父親も同じで唯一知っている父親だから。
・何も変わらなかった。実を言うと自分でも(言われた時のことは)あまり覚えていない。そもそも僕にとって大したことではないから。
[st-kaiwa1]生んだ両親にも養父母にも何か深い事情があったのかもしれない…。でも何も聞かず「関係ないよ。僕のパパ・ママはあなたたちだけ」と言ってくれる息子…。うう。涙出るぅ[/st-kaiwa1]Choose life!!! ❤️❤️❤️https://t.co/eMTqwLGoY4
— ph (@libgurl2) October 5, 2022
幼少時代は熱心に才能をサポート
米メディアによると、ジャッジ選手の幼少時代、両親はいち早くアーロン少年の運動の才能に気づき、熱心にそれを育てようとしたそうです。
リトルリーグ時代には、両親は息子の学校の準備をしたり練習と試合に連れて行くなど一生懸命サポート。一方で、運動・勉強を両立させようとしつけは厳しかったとジャッジ選手は言います。
「僕は外に出て友達と遊んだり、ゲームをしたりしたかったのだけど、許してくれなかった。両親は『やるべき宿題があるよ。数学と理科の宿題を終わらせれば、夕食前にちょっと遊んでもいいよ』。 そんな感じ。子供の頃は嫌だったけど、今振り返ってみると本当に感謝している」
[st-kaiwa2 r]実際ジャッジさんって地元高校時代、学業成績は優秀で、さらに野球、バスケ、アメフトでも優等生だったとか。何か大谷サンとも似てるww[/st-kaiwa2]そして「もし母がいなければ、私はヤンキースの一員にはなれていなかった。母が私に教えてくれたアドバイス、良いことと悪いことの違い、人々への接し方、努力の方法など彼女のすべての教えが、今の自分を作り上げたんだ」と語っています。
スカウト殺到の学生時代
高校でのその万能ぶりは各大学にも知れ渡り、卒業時にはノートルダム大、スタンフォード大、UCLAなど様々な大学がアメフトプレーヤーとしてスカウトしたそうですが、本人は一番好きな野球を選びました。
もちろんMLBもその才能に目をつけ、高校時代の2010年、アスレチックスがドラフト31巡目で指名。しかしジャッジ選手はプロには行かず、カリフォルニア州立大学フレズノ校へ進学。大学野球でのプレーを選択しました。
そして1年目で打率.358を記録。同年のルイビル・スラッガー社が選ぶ「Freshmen All-American Baseball Team」に選出されるなど傑出した成績を残しました。
Multi sport student athlete in high school. It’s worked out just fine for Aaron Judge. Experience everything @HBUHSD @HB_OilerSports @WHSLions @MHSVikingNews @FVHS_Athletics @EdisonSportsNet @athletics_OV pic.twitter.com/cHxKhwFwRr
— Huntington Beach UHSD Athletics – James Perry (@perryjameslusc) September 30, 2022
その後2013年、あらためてヤンキースから全体32位でドラフト指名され、ついにMLB入り。現在の栄光の道を歩みました。その原点は、生まれた翌日に血のつながっていない「小さなアーロン」を胸に抱いた、養父母のジャッジ夫妻にあったというわけです。
まとめ
fontweight=”bold” bgcolor=”#212121″ color=”#ffffff” margin=”0 0 0
0″]要約しますと[/st-minihukidashi]
- アーロン・ジャッジがついにアリーグ新62号。「真のMLB記録」と全世界が賞賛
- 両親・妻も大歓喜。実はジャッジは出生すぐ、教師夫妻の現両親の元へ養子に
- 妻は高校時代の恋人。両親の熱心な教育で勉学・運動を両立し現在の栄光の道へ
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