1965年に大阪中之島に建設され、その品格から国賓・皇室も宿泊する名門ホテルとして、華麗な歴史を持つリーガロイヤルホテルが、外資に売却され、大規模改修を経て、2025年3月にリニューアルオープンすることになりました。
国際政治の場ともなったその歴史とは、どんなのだったか?前身の新大阪ホテルも含め、1970年当時従業員として働いていた70代の方にお話を伺うことができました。
昔はどうであったか語れる人が年々減ってゆくなか、貴重なお話となりました。
[st-kaiwa1] 「大阪の迎賓館」が消える! [/st-kaiwa1]リーガロイヤルホテルの歴史
リーガロイヤルホテル中之島の歴史は、1965年竹中工務店の吉田五十八によって建設されたことから始まる。
リーガロイヤルホテルの1970年ごろの呼称は“株式会社ロイヤルホテル”と言われていた。
他の直営のホテルに新大阪ホテル、大阪グランドホテル、京都グランドホテル、神戸国際ホテルなどがあった。(当時の呼称使用)
新大阪ホテルが、リーガロイヤルホテルの母体であり、リーガロイヤルホテルへと続く品格ある大阪の高級ホテル文化を育んだところです。
大阪・リーガロイヤルホテルを投資会社に売却 新型コロナで業績悪化 https://t.co/ZGpqO0TrDc
— 毎日新聞ニュース (@mainichijpnews) January 20, 2023
前身の新大阪ホテルとは?その構造と文化
今ある“新大阪ホテル”とは全く別物である。
リーガロイヤルホテルの母体である新大阪ホテルは昭和10年(1958年)に大阪中之島に開業し、「大阪の迎賓館」と言われるリーガロイヤルホテルへと続くホテル文化を育んだ場所です。
当時大阪には“大阪ホテル”という名前はすでに使われていて、“新大阪ホテル”になったのだと聞いている。
このホテルは当時珍しい冷房施設のあるホテルとして開業した。
(この古い構造の冷房施設は後々閉館する要因となった。ビルの隙間を空気が流れるため、中の煤が除去できず、1階50席あった主食堂に煤が降り注いで、夏場は5~6席が使えない状態であった。)
◎新大阪ホテル1階の構造
・1階の真ん中は主食堂があり、7時から、朝食。休憩後にランチ。また、いったん閉じて、ディナータイム。
ブレックファースト
コースメニューはジュース(グレープフルーツ、トマト、パイン、オレンジまたはハーフグレープフルーツ)、卵(フライドエッグ、プレーンオムレッツ、スクランブルエッグ、ポーチドエッグ、ボイルドエッグ)、パン(トースト、ブレッド、バゲット、ソフトロール、ハードロール、ブリオッシュ、クロワッサン)、コーヒーまたは紅茶
ディナータイム
主食堂のメニューはコースメニューを中心にアラカルトもあり。ウインナーシュニッツル、キドゥニーパイ、オイスター・カークパトリックなど。
(構造は天井が高く、2階まで吹き抜けの状態。たまに中2階でバイオリン生演奏があった。)
・1階の南のロビーの1画に植木で囲まれた喫茶コーナー“ソーダーファウンテン”がある。ロビーは吹き抜けで、2階にも長テーブル、イスがあり、2階では良くお見合いの席が設けられ、1階から紅茶とケーキが提供された。
喫茶コーナーの壁には本物の等身大の画がかざられていた。
1度、新大阪ホテルの経営が苦しくなった時に郡司茂社長は相談役に退き、経営陣は住友銀行などから送り込まれた。
その時に郡司茂社長は収集していた高価な画を手放すのを拒否し、それが“ソーダーファウンテン”の周りに無造作に飾られていた。
1度、お客さんの画商にこの画たちを解説していただいた。
小磯良平さんの画など、貴重なものばかりであった。
新大阪ホテル閉館後はこの画たちはきれいに修復して、ロイヤルホテルの貴賓室に移ったと伝えられた。
朝日新聞の記事から、まだ健在なのだと、安堵した。
・1階を北から入ると、グリルとバーがある。
グリルは“市内観光はとバス”のコースに含まれ、1番高額のコースで、ランチタイムはここでした。
コースのメインディッシュはトンカツであった。
その方が1時期担当したときに伊丹十三監督とカメラマンが夕方にビールを飲みに来られた。(その時はまだ俳優)
◎新大阪ホテル上の階は宿泊施設である。
宿泊施設の主任に特徴を聞いた。
「部屋のワードローブは河合楽器に発注した1枚物の板を使用している。」そうだ。
「新大阪ホテルのエピソード」
丁度、国際情勢はというと、中国との国交断絶を解消して、国交回復の道筋を探るために、水面下で、交渉が行われていた。
その中国の外交使節団の宿泊所の関西は“新大阪ホテル”で、朝は中華がゆを提供したり、
ある時は佐藤首相が多数の閣僚などを伴って、、主食堂横の小宴会場で、食事と秘密会議を行っていた。
恐らく中国への対応を協議していたのでしょう。
◎新大阪ホテルは老朽のために1973年8月に閉館。
ロイヤルホテルは1973年9月に客室数を大幅に増やして、新館開業。
新大阪ホテルの従業員は全員ロイヤルホテル新館に移る。
[st-kaiwa2 r] 披露宴に招待されたとき、 同じ空間なのに演出の違いでこうも変わるのかとプロの凄さを感じ幸せな時間を過ごした場所だった [/st-kaiwa2]
リーガロイヤルホテルが外資売却へのSNSの反応
[st-kaiwa3] リーガロイヤルホテルって、アラン・ドロンやマリリン・モンロー、そしてヘレン・ケラーまで宿泊したことあるんやぁスゴイ!!格式あるホテルなんやね[/st-kaiwa3] 引用:https://twitter.com/piikoro4/status/1633953640913440768
[st-kaiwa4] 大阪リーガロイヤルホテルがカナダの系列に売却されるのか!大阪ロイヤルホテルの時代から良く利用してきたのに残念
[/st-kaiwa4] 引用: https://twitter.com/jidaiya_3/status/1634355100985737219
[st-kaiwa5] リーガロイヤルホテルが外資系の投資会社に買収されて、我々メーカーとの契約内容がどうなってしまうか?
みたいな・・・
心配が無い訳ではありませんが、一応新会社に移行する際の説明を聞いて、ちょっと安心しました。
[/st-kaiwa5] 引用:https://twitter.com/benkyokai1/status/1633422053994016771
[st-kaiwa6] リーガロイヤルホテルの思い出
一年間少しづつ貯めて、シャンボールのランチを母にプレゼントしました。
また計画します~
[/st-kaiwa6] 引用:https://twitter.com/ruchi_akuta1300/status/1634356029785006082
まとめ
- リーガロイヤルホテルを育んだ新大阪ホテルの当時を具体的にまとめました
- 政財界、俳優など有名人が利用していた品格あるホテルの伝統を受け継いでいたことが分かります
- リーガロイヤルホテルの身売りにはファンの嘆きが聞こえてきます