村田兆治元選手の訃報に伴い、彼の偉大さを振り返りたいと思います。
村田選手を知らない世代にとって、例えば現役選手に例えるならば誰に当たるのか?
球速はどれくらいなのか?についてみていきましょう。

いろいろあるけれど、偉大な選手に変わりない。
村田兆治の全盛期の球速は153kmか
村田兆治元選手は、1949年11月27日生まれとなりますので72歳没となります。
全盛期は「マサカリ投法」として当時のトップ投手としてファンを沸かせた一人であるとともに
なんと60代でも140㎞/h代をだしたことで最近話題になり、老後も人生をしっかり生きていたことが分かります。
空港で逮捕された事件が今年2022年にあり認知症の心配などされていた矢先に自宅が火事で訃報となり
心よりお悔やみ申し上げます。
正確性高いスピードガンは現役末に登場
スピードガンがなかった時代というのは正確には1979年以前となります。
初めて球界にスピードガンが登場したのが1979年ということで当時は盛り上がりました。
村田元選手は、1990年引退ですので、現役後半にスピードガンが出てきたこととなります。

また、引退後もシニアリーグで活躍していて、その時の記録もニュースで報道されています。
全盛期153km/h説は識者の見た目予想
『永久保存版・日本プロ野球名投手100人』村田兆治の項目(1989年、ベースボール・マガジン社)によりますと
「153km/hは出ていたであろう」という識者の発言があり、それくらいだったという共通認識であります。
あくまで、「見た目の判断」であり、正確な数字ではありません。
なんと50代で130km/h台
その後、シニアリーグでもプレーをしていまして、プロ野球ではよく始球式で投げ、その時スピード表示がされた記録が残っています。
57歳の始球式では、135km/hを出しました。
(2007年5月26日始球式)
62歳では球速の限界に挑戦するテレビ企画に挑戦し、1球目は122km/hだったのを最終的に129km/hまで記録しました。
69歳の始球式では、112kmを出しました。
ソース:wikipedia
現役選手で言うなら選手?
村田選手を筆者も現役生で見た世代ではないので
「もし現役選手で例えるなら誰なの?」ということで
周りのおじいちゃんや、ネットで質問してみました。



ということで、このへんのイメージかと思われます。
いろいろな要素がありますので部分的な一致になりますが、とにかく当時のプロ野球を大いに盛り上げた選手であることに間違いはありません。
まとめ
要約しますと
- 村田兆治元選手は、全盛期には153km/h出ていたのでは、と言われている。スピードガン計測ではなく識者の見解
- 村田元選手が30歳の時にスピードガンが登場。引退試合であ、最高速145㎞を記録して完封勝利した伝説をもつ
- 現役引退後も活躍し、50代で135㎞/h等の記録がある

合掌