AI時代だからこそ、読みたい昭和の名著第3弾!「日本医家伝」

雑記

今、AI時代だからこそ、アナログ時代昭和の名著を掘り起こそう。現代によみがえらせる企画です。
そして、その第3弾は「日本医家伝」を取り上げます。
この本は作家吉村昭氏の原点と評されるだけあって、内容が濃い。
古い本ですが、さすがに名著!ファンの強い要望で、新装再版されました。2023年8月22日に。
多くの待ち望んでいた人たちに朗報です。
いろんな医者の熱意が伝わり、こんな生き方もあったのかと、改めて教えられたりします。
このような力作を読まなければ、損でしょう。

作家のプロフィール

吉村昭(昭和2年1927年生まれ)
東京府北豊島郡日暮里
家業は綿糸工場を経営。順調であった。
1944年、1945年に相次いで、両親を亡くす。
1948年胸郭成形手術で入院。
1953年学習院大学を除籍される(後に中退扱いに変更)。
1953年北原節子と結婚をする(津村節子)
何度も芥川賞候補に挙がるが、先に妻が授賞する。
1966年太宰治賞。
1972年文藝春秋読者賞。
1973年菊池寛賞。
1979年吉川英治文学賞。
1985年毎日文学賞。讀賣文学賞。芸術推奨文部大臣賞。
1987年日本芸術院賞
1994年大佛次郎賞。

作品“ 日本医家伝“登場人物の略歴

以下12名の医家たちの物語です。説明するより、本を読んでもらった方が早い。
山脇東洋(宝永2年1706年生まれ)
近江国浅井郡山脇村の山脇家の3代目として養子に入る。
禁制であった人体解剖を幕府医官の立場で行い、記録を残した。日本近代医学の端緒を切り開いた。
前野良沢(享保8年1803年生まれ)
福岡藩江戸詰め藩士の子として生まれるが、幼少時に両親を亡くす。
妻の実家は中津藩医の前野家。養子となる。
杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周と“ターヘル・アナトミア”を翻訳する。(解体新書)
青木崑陽(サツマイモ普及の功労者)に師事したこともある。
伊藤玄朴(寛政12 年1801年生まれ)
佐賀藩士伊藤家の養子となる。
シーボルトに師事する。蘭方医としては最初の奥医師。
種痘の普及に貢献する。
土生玄碩(はぶ・げんせき:宝暦12年1762年生まれ)
安芸国高田郡吉田村(広島県安芸高田市)
眼科医家の長男に生まれる。
禁を侵して開瞳術をした西洋眼科医
広島藩の藩医となる。
江戸に出て、
名声を極め、奥医師となり、莫大な財を成す。
シーボルト事件にかかわり、財産没収、投獄される。
楠本イネ(文政10年1827年生まれ)
長崎県長崎市にシーボルトの娘として生まれるが、
イネが2歳の時にシーボルトは国外追放となる。
西洋医学を学んだ産科医。
鰻とスイカの食べ合わせで亡くなったとされるが、科学的根拠は不明。
中川五郎治(明和5年1768年生まれ)
陸奥国川内村に
廻船問屋の子として生まれる。
ロシアの種痘書を手に入れ、日本初の種痘術を行う。
秘術として公表せず、広まることはなかった。
笠原良策(文化6年1809年生まれ)
越前足羽郡深見村。
福井城下町医笠原龍斎の子。
一旦江戸に出て学び、
後に福井城下に開業する。
さらに大武了玄に学び、また、日野鼎哉に学ぶ。
福井藩主の松平春獄に牛痘苗の輸入を2度上申する。
さらに老中阿部正弘に伝わる。
日本の種痘に貢献した一人。
松本良順(天保3年1832年生まれ)
江戸に生まれる。
長崎でオランダ軍医ポンペに学ぶ。
奥医師、医学所頭取、大日本帝国陸軍初代軍医総監。
近藤勇とも親交があった。
相良知安(さがらちあん/ともやす:天保7年1836年生まれ)
佐賀城下八戸町に生まれる。
長崎でオランダ医師ボードインに学ぶ。
明治政府に対して、イギリス医学ではなく、ドイツ医学を提唱し、採用される。
明治3年に収監され、明治6年に役職を罷免される。
明治18年に文部省職員を最後に官職から遠ざかる。
萩野ぎん(嘉永4年1851年生まれ)
武蔵国幡羅郡俵瀬村(埼玉県熊谷市俵瀬)。
代々名字帯刀を許された名主の家に生まれる。
明治6年に上京し、国学者・皇漢医の井上頼國に師事する。
女性差別を乗り越え、国家資格を持った最初の日本人女性医師。
高木兼寛(嘉永2年1849年生まれ)
日向国諸島郡穆佐郷(宮崎県宮崎市高岡町
薩摩藩郷士の長男として生まれる。
明治8年に海軍病院学舎教官アンダーソン(イギリス)の推薦によりイギリスに留学をする。
イギリスにおける、外科医、内科医、産科医の資格を取り、外科学教授の資格をも取得をする。
看護士の育成教育にも力を入れる。
脚気の原因が世界的にまだわかっていない時代に、食事療法によって脚気の激減に成功している。
海軍軍医総監。
秦佐八郎(明治6年1873年生まれ)
島根県美濃郡茂村(益田市)
豪農山田家の子として生まれる。
姻戚の秦家の養子となる。
代々医師の家系である。
私立岡山薬学校→第三高等中学高医学部
1897年岡山県病院→1898年伝染研究所
ここで北里柴三郎に学ぶ。ドイツに留学をする。
最初にロベルト・コッホ最近研究所で、免疫の研究をする。
ドイツのパウル・エールリヒと梅毒薬サルバルサンを開発する。
秦佐八郎自身も何度もノーベル賞候補にノミネートされている。
1910年にエールリッヒと秦氏の共著“スピロヘーターの実験化学療法”が刊行されている。

みんなの反応

(再版以前のコメント)出典:読書メーター
・廃版になりかけなのか、なかなか見つからなかった本を、やっと入手。 江戸後期から明治期に活躍した医家12人を描いた短編集。 今まで長編で読んだ人物か多かったけど、 まだ読んでない人もあり楽しめました。 強靭な精神を持つ人たちで医学が発展して来たんだと分かる。

・ここで取り上げられた半数ほどは吉村氏の長編で既に知っていたが、それ以外はほぼ初めて知るような内容。物凄い功績を上げた人々でも、お金にがめつかったり、家庭に恵まれなかったり、そういう「人間臭さ」みたいのが描かれているのが面白い。あと、同じシーボルト事件に関係していながら、事後の明暗が分かれた伊東玄朴と土生玄頑なども興味深かった。個人的には、同性というのもあるけれど、荻野ぎんの話が切なく感じた。

(新装版のコメント)出典:アマゾンレビュー
・今春、孫が医大に入学したので、進呈する。先人達の心を胸に刻み、努めてほしい。特に、本書に掲載されている笠原良策が遠縁にあたるので、読んでほしい。以上

・医師たち一人一人を取り上げた短編集。吉村昭先生が後年、長編に仕立てた人物もあり興味深い。

・医学は日進月歩。
いかに努力して、医師となっても、常に自己研鑽を積んでいかなければ、
患者さんは去っていく。
きびしい世界である。
作者の文章は今一歩。乗りに欠けると思う。

・知人の推薦で読んでみました。とても興味深い内容でした。一気読みしてしまいました。

・後年の研究から内容の誤りを指摘するものもあるが、読みやすく一人ひとりの話がコンパクトにまとまっている

まとめ

・吉村昭氏は裕福な家庭に生まれたが、作家として独り立ちするまでかなり、苦労をしています。
・この“日本医家伝”は吉村氏の作品の中でも是非に呼んでほしい1冊です。
・再版された理由が改めて分かる感動の作品です。

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