西洋科学書における日本初の翻訳本の位置づけである。(漢文)
訳者は杉田玄白となっているが、実際には翻訳の中心人物は前野良沢であるというのが、現在の通説である。
誤訳も多いために、後に大槻玄沢が『重訂解体新書』を文政9年(1826年)に刊行している。
写本の時代から印刷技術進化への影響も考えられる。(木版)
「解体新書・復刻版」 西村書店2016年4月5日 初版
原著者プロフィール
・「解体新書」の原著作者はヨハン・アダム・クルムス氏(1689年3月23日~1745年5月30日)。
・彼はポーランドのヴロツワフにパン屋の三男として生まれる。
・ドイツの解剖学者。
・『ターヘル・アナトミア』(Anatomische Tabellen)」を著す(1722年)。
訳者プロフィール
杉田玄白 享保18年9月13日(1733年10月20日)~文化14年4月17日(1817年6月1
日)
・江戸 牛込で生まれる。
・父は若狭国小浜藩医。
・あだ名は「草葉の蔭」
・宝暦3年(1753年) 5人扶持で小浜藩医となり、上屋敷に勤める。
・宝暦7年(1757年) 小浜藩に籍を置きながら日本橋で町医者として開業する。
・明和2年(1765年) 小浜藩の奥医師となる。
・安永5年(1776年) 小浜藩の中屋敷を出て、地借し、開業するとともに、「天真楼」と呼ばれる医学塾を開く。「杉田玄白事は、当時江戸一番の上手にて御座候」と、外科の評価が高い。
・文化2年(1805年) 徳川家斉に拝謁し、良薬を献上している。
出版社プロフィール
・版元・須原屋市兵衛
・江戸出版業界最大手・須原屋茂兵衛の暖簾分け店の一つ。号は申椒堂(しんしょうどう)。
・平賀源内。森島中良など蘭学者の版元も手掛けている。
・『解体新書』は安永3年に刊行された。
この本の目次
序図
巻之一
巻之二
巻之三
巻之四
対談―「解体新書」をめぐって 蒲原宏・牛木辰男
あとがき―刊行にあたって 牛木辰男
おわりに―岩瀬家と花岡青洲と『解体新書』 岩瀬三紀
コメント
アマゾンコメント
古書店で解体新書の現物を手に入れるのはむずかしかろう。そんな折に見つけたこの復刻版、丁寧に作られているので、資料として活用している。こういう本を出版してくれたことに感謝したい。
解体新書の初版本のある史料館で働いています。そこで説明に復刻版があれば本の中をお見せすることができるので個人で購入しました。印刷のかすれ具合等初版本に限りなく近く、紙の質もよいものでした。
解体新書は多くの医師にとって、バイブルである。大学の図書館などでガラスケースの中の、解体新書を見た人は多いであろうヶ、実物をじっくり見た人はほとんどいないであろう。もちろん中身は漢文でかつオランダ語の誤訳が多いようであるが、それでも実物(コピー)をてもとにおいておく喜びは多きい。内容は文庫本の現代語訳をよめばよい。
孫が医学部の3回生なのでプレゼントしました。勿論私も一読しました。
まとめ
・江戸時代に出版された初版に近いものを再現している。
・標本図は現代でも通用すると評価されている。
・ひとつ間違えれば、打ち首となる厳しい時代背景があり、官医を共同作業者にするなどの工夫がある。前野良沢の名前がないのはその関係という一説もある。